ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

ジャンダルム飛騨尾根~涸沢岳北壁

2017年04月07日 22時23分34秒 | クライミング
平日CC(クライミングクラブ)の二人オーブ、ホサカと3~6日で山へ。当初は剱岳白萩川側フランケでアルパインアイスを堪能するつもりだったが、運悪く3日夜から雪の予報となったため、雪崩の危険の少ない穂高へ転身した。3日に蒲田川林道をアプローチし、白出沢をラッセルしはじめる。昼間は快晴だったが、午後になると雪が舞い始めた。予報では松本周辺は晴れだったので穂高は低気圧の影響を受けないと考えていたが、想定外の大雪。剱に行っていたらヤバイことになっていたにちがいない。気温も低いし、雪もサラサラで、まるで冬山のようである。天狗沢との二股からD尾根に取り付き、300mぐらいだろうか、そこそこ高度を稼いで尾根上に幕営した。

幕営地から飛騨尾根取り付きまではラッセルで時間をくった。雪は止んだが、D尾根からC尾根にわたるルンゼはいかにも雪崩そうな雪質と地形で、というか、60パーセントぐらいの確率で雪崩そうである。ここはちょっと危ないので、先頭をオーブ君に変わってもらい難所を突破、この日は飛騨尾根の岩壁を快適にクライミングし、T2で時間切れとなったので雪洞を掘った。翌日、ジャンダルムに登頂し、奥穂まで縦走して穂高岳山荘にテントを張った。正直言って実質3ピッチぐらいの簡単なルートかと舐めていたが、合計8ピッチもある登りごたえ十分の面白いルートだった。

6日は涸沢岳北壁へ。涸沢岳北壁は登山体系に載っていない、ほとんど誰からも相手にされていない、存在さえ知られていない壁だが、槍ヶ岳方面から眺めるその山姿は日本のローツェ南壁と呼びたくなるほど凛々しく聳えており、いつか登りたいと念願していた山のひとつだ。……だったのだが、その念願の日がついにやってきたこの日の朝、われわれはついうっかり二時間ほど寝坊してしまった。慌ててテントを出発し、涸沢岳を越えて滝谷D沢へ下るルンゼを下降していく。狙っていたのは涸沢岳北壁で唯一登攀された昇天ルンゼだが、滝谷のルンゼ内も積雪が多く、雪崩の不安を払拭することができず(また寝坊のせいで時間も少なくなってしまったこともあり)、2900m付近から頂上付近にダイレクトにつきあげるリッジを登攀することにした。

ルンゼから雪壁をトラバース気味に登り、2ピッチでリッジにたどり着く。朝は快晴だったが、登攀を開始するとみるみる天気は悪化し、風雪が強まりはじめた。3ピッチ目が一応核心。リードするオーブ君が雪のバンド上を左にトラバースし、「そんなに難しそうじゃありません」との感想をのこしてガスの向こうに消えていったが、実際にフォローしてみると、草付のくっついた垂直の壁がそそり立っており、思わず彼の安全係数をうたがった。5ピッチ目が最終ピッチで、リードは私の番。下からは楽勝に見えたが、終了点である西尾根直下はボロボロのクズ壁になっていて、アイゼンを岩にひっかけると落石がゴロゴロ落ちるわ、アックスをつきさすと岩がグラグラと動くわ、の最悪のピッチだった。こういう悪いところは、妻子もおらず、私よりも命の値段がはるかに安い若い他の二人が担当すべきなのに、リードの順番というのは不条理なことだなぁと、思わず世の儚さを嘆いたが、もう下りたくても下りられないとこまで上ってきてしまっていたので、しょうがなく「頼むからもう崩れないでください」と神様に祈りながら、一か八かの数歩の末になんとか西尾根に乗りあがった。



涸沢岳北壁は岩壁というより岩石が積み上がっただけのボロ壁だが、遠くから見た容姿が美しいので良い山だ。しかし、この場合の良い山というのは、登攀の内容よりもむしろ、オレは今、あのローツェ南壁みたいなかっこいい壁を登っているんだ、そんなオレってトモ・チェセンみたいでカッコいいぜという自己愛に浸れるという意味で良い山なので、やはりこのようなタイプの山は上から掠めるように登るのではなく、滝谷の出合から一気にルンゼを登って頂上に一本のラインを引いたほうがナルシスティックな完成度という点からも正解だろう。
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