ファクトチェック

復興庁の「放射線のホント」を検証する①

「放射線量の増加」と「原発事故」を結びつけて考えることのできない、福島県の子どもたちの存在――。この現実をどう考えるか
福島大学准教授 後藤忍さんインタビュー

福島県の子どもたちの中には、「放射線量の増加」と「原発事故」を結びつけて考えることができない子がいるのだそうです。この現実をどう考えればいいのでしょうか。
福島大学の後藤忍先生にお話を伺いました。

・政府資料が否定する現在の「リスコミ」のあり方

現在行われている「リスクコミュニケーション」については、原発事故前の政府側の「リスク評価」も、事故後の「リスク管理」も、定義上それらを含む「リスクコミュニケーション」(以下、リスコミ)も、すべて失敗したと思います。その失敗に対して政府側は「受け手(住民)の捉え方が違っている」という認識を通しています。

福島大学准教授 後藤 忍さんプロフィール
1972年大分県生まれ。大阪大学大学院工学研究科環境工学専攻修了。博士(工学)。2004年から現職。
福島第一原発の事故後、環境教育の観点から特に原子力・放射線教育に関心を持ち取り組んでいる。政府が発行した原子力および放射線に関する公的な副読本における「公平性」の問題に着目し、福島大学放射線副読本研究会を組織し、独自の代替案となる放射線副読本を作成。また、福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」とチェルノブイリ博物館の展示内容の比較なども行っている。著書に「みんなで学ぶ放射線副読本」。専門は環境計画、環境システム工学、環境教育。福島市在住。

リスコミでの情報のやりとりには、メディアが介在するケースも、直接伝えられるケースもありますが、情報発信側である政府は、放射線に対する健康影響への不安を抱える住民に対して「理解していない」「パニックを起こしている」という欠如モデル(※)を事実上採用し、「非論理的」「リスク・ベネフィット(不利益と利益を勘案したバランス)がわかっていない」という立場から「リスコミを強化すればいい」という方向に向かっています。これは、単なる上位下達の「リスク伝達」であり、双方向を旨とする「コミュニケーション」ではないのです。

一方、住民の側からすれば、「起きないと言っていた事故がおきた」「情報を出さない(隠す、後出しにする)」「専門家も間違っていたケースがいくつもある」「リスクが過小評価されているのではないか」「彼らこそ、非論理的」と考え、「二度と騙されないために判断力を培わなくてはならない」という合理的な認識を持っています。

(※欠如モデル・・・一般の人々が科学技術を受容しないことの原因は、科学的知識の欠如にあるとして、専門家が人々に知識を与え続けることで、一般の人々の科学受容や肯定度が上昇するという考え方)

 

・やってはいけないリスク比較

写真1 放射線のホント

「放射線のホント(写真1)」も、復興庁の「風評払拭・リスクコニュニケーション強化戦略」の第一弾という位置付けですが、これを見ていても、「リスコミとはなんなのか、ということに関するコミュニケーション」が必要ではないかと思ってしまいます。つまり、より良いリスコミのために過去の教訓を踏まえて指摘されてきた知見が反映されていないのです。

例えば、関係ないリスクとの比較(写真2)。このリスコミは、日本政府も認識しているはずの極めてまずいやり方なのです。

写真2 「放射線のホント」15~16ページ
写真3 農林水産省ホームページより

文部科学省が2017年に作成した「リスクコミュニケーション案内」(http://www.mext.go.jp/a_menu/suishin/detail/1397354.htm)や農林水産省のウェブサイトで引用している「リスク比較のための指針」(http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/risk_analysis/r_risk_comm/#023)という資料(写真3)があります。このなかで「通常許容できない‐格別な注意が必要」とされる「第5ランク」に、「関係のないリスクの比較(例えば、喫煙、車の運転、落雷)」が挙げられています。放射線のリスクと関係ない喫煙、飲酒、肥満、運動不足、塩分の取りすぎや野菜不足との比較もこれに当たるでしょう。実は、この資料の原典のほうには「第5ランク」では「警告」とされ、「これらの比較は、あなたの信頼性を著しく傷つけるかもしれない」とまで書かれているもの。まさに、それを「放射線のホント」だけではなく、多くの政府資料や、書籍等でも平気でやっている。関係のないリスクと比較することがリスコミ上いかに問題かという「指針」の注意点が、教訓として反映されていないのです。

それに対し、最も許容される「第1ランク」は、例えば、「異なる2つの時期に起きた同じリスクの比較」であれば、国際原子力事象評価尺度(INES)で同じレベル7に位置づけられるチェルノブイリと福島の比較。「標準との比較」であれば、一般公衆の追加被曝線量限度の年間1ミリシーベルトや放射線管理区域の年間5ミリシーベルトと、福島の避難指示区域の基準である年間20ミリシーベルトの比較。そして「同じリスクの異なる推定値の比較」であれば、低線量被曝による健康影響に関して危険から安全と考えるものまで見解の幅を紹介することなどが該当します。

これらのうち、特に放射線管理区域と福島の避難指示区域の基準については、被曝による人権侵害の可能性に気づき、帰還政策の妥当性について考えるためにもとても重要な情報ですが、リスコミのための政府資料では表に出てこないのです。

 

・原発事故のリスクをどう伝え、どう考えるか

ドイツの環境省が2008年に作成した、13歳〜16歳向けの教材に「簡単に原発のスイッチが切れるか」というタイトルのものがあります(写真4)。ドイツは2008年の段階ですでに脱原発の方針を決めていました。

写真4 ドイツ環境省「簡単に原発のスイッチが切れるか」

重要なのは、ESD(持続可能な発展のための教育)の教材として認定を受けていることです(http://www.mext.go.jp/unesco/004/1339970.htm)。実を言うとESDは、国際的にも日本が提案した教育概念で、育みたい力として「批判的思考力」などが提示されています。その教材として認定されているということは、この教材を使うことで批判的思考力などを育むことができるという点について〝お墨付き〟をもらっていることを意味します。中身を見ると、原発の是非に関する「賛成」と「反対」の論点について、同じグランドスペースを割いてそれぞれの意見を掲載しており、賛否を学べるようになっています(ただし、原発推進派から「データが古い」等のクレームがあり、後に回収されたそうです)。

リスクを扱ったページもあります。自動車や喫煙、飛行機などと原発のイラストがあるので、一見すると日本と同じように、原発のリスクと関係のない日常的なリスクを比較して、一方的なリスク認識を伝えているように見えますが、違います。設問自体は単純な問いですが、それに答えた後の作業全体としては、リスクに関する様々な見方を学び、判断力や批判的思考力を育むことができるようになっています。

まず問いについては、自動車だったら「毎日自動車に乗るのが心配ですか」について、はい/いいえで答えます。そして、原発については「あなたは原発の近くに引っ越したいと思いますか」という問いになっているのです。これは、自動車や受動喫煙などの日常的なリスクと、同じレベルで原発のリスクを捉えるための工夫です。

これが「原発事故が心配ですか」や「原発が必要だと思いますか」という聞き方だと、東京など原発から離れたところに住んでいれば「リスクは遠いところにあるから」と他人事のように考えてしまいがちですが、「近くに引っ越したいか」と問われれば、必然的に「自分事」として考えざるをえません。つまり、原発のリスクを自分の日常生活として引き受けられるかと問うことで、他の日常的なリスクと揃えて考えてもらうようにしているわけです。

それを答えたうえで、4つの問いと作業内容が書かれています。

「1番目(最大のリスク)から6番目(もっとも低いリスク)までリストしてください」

「そのリスクを冒すことはどのくらい重要ですか」

「もし仕方なしにそのリスクを冒さなければならないとしたら行いますか」

「クラス内であなたの結果を比較します。どこに違いや共通点がありますか」

このように、最後には他の人と比較し、共通点や相違点について考えようというプログラムになっていて、何か正しい1つの捉え方を伝えるようなものとはなっていません。リスクの捉え方は人それぞれであり、リスク認識にどのような要因が影響を与えているのか気づけるようになっています。

しかし、こういう教材を日本政府は全く作っていません。

イギリスにも例があります。ナフィールド・カリキュラムセンターというところの教材で、2008年に作られたものです。どれが正解か、ではなく、やはり「みんなで話し合うこと」「リスク認識に影響を与える要因について考えること」に主眼を置いています。

例えば、チェルノブイリ原発事故に対するこんな質問があります。

「ある研究者が新聞で『被曝リスクはおそらく喫煙とか肥満より高くない』と書いていた。この研究者の説明が仮に正しいとしても、住民は被曝リスクの方を心配する。なぜリスクは異なって見えるのか、述べなさい」

最後の問いが重要で、日本だったら、おそらく「なぜ住民は研究者の言うことを信じず、間違ったリスク評価をするのか」といった問いになるでしょう。イギリスの教材はそうではなく、「研究者と住民はリスクの捉え方が違う」ことを前提に、「それはなぜか」ということを聞いているのです。

日本の政府資料や教材には、残念ながら、リスクに対してそれぞれが合理的な判断をしているという理解がありません。原発事故による放射線被曝のリスクには、

「人工的なリスクである」

「曝露に気づきにくい」

「なじみがない」

「子どもや将来世代に影響がある」

「不確実性が高い」

「自ら引き受けたわけではない」

「個人で制御することが難しい」

「リスクと便益の配分が不公平である」

など、人がリスクを大きく認識する様々な要素が当てはまっています。被曝リスクの問題に対して、その人が当事者であるかどうかによって考え方の差は大きく、そして、その当事者がどう考えるかということはとても大切なのです。ドイツやイギリスの教材のように、リスクを自分事として考える機会を提供し、リスク認識に影響を与える要因について理解できる教育を行えば、「福島の人が不安に思うのも当然だ」と理解できる人が増えるはずです。研究者も、住民が自らの見解とは違う意見を持っていたとしても、それが合理的な判断であることを認めるべきなのです。

一部の研究者はそこを全く勘違いして、「理解が足りない」「客観的なリスク評価がわかってない」「無知な民が恐れおののいて必要以上に心配しているから、彼らに知識を授けてあげよう」という考え方しかできていないのは問題だと思います。

 

・風評被害項目に入れられたいじめ問題のおかしさ

そもそも今回の原発事故の直接の加害者は国や東電です。そして、彼らの不適切な対応によって被曝を防げなかった被害者がいます。その被害者に対していじめが発生した時に、加害者側が「理解しろ」「いじめはいけない」と言っているのが、風評被害項目に入れられた「原発いじめ」の構図なのです(写真5)。

写真5 後藤忍准教授作成資料「加害-被害の問題構造」

 

人権問題と捉え、因果関係を考えれば、相対的により重大なのは、国や東電が侵した人権侵害です。それにもかかわらず公的な教材では、その人権侵害には触れず、「世間の理解不足によるいじめ」ばかり取り上げています。

活用されなかったSPEEDI、機能しなかったオフサイトセンター、適切な配布がされなかったヨウ素剤など、政府や国会の事故調査報告書にも明記されているこれらの責任や教訓については、語らない。放射線に関する国や福島県の公的教材にも、福島県内にできた「環境創造センター交流棟(コミュタン福島)」にも、これらは出てきません。

このコミュタン福島は、「環境放射能等に関する学習活動の実施・支援」が目的の一つで、学校教育の一環として、福島県内の小学生を中心に見学させることとなっていて、福島県がバス借上の経費の一部を補助する制度も用意されています。つまり、この施設での放射線に関する学びは福島の子どもたちにとってとても重要な機会なのですが、放射線のリスクについても原発事故の教訓についても、展示されている情報は現段階ではまだ不十分であると私は考えています。

原子力・放射線教育におけるそれらの状況と、時間の経過に伴う人々の記憶の風化とが関係してか、福島県内の小学生で、原発事故当時幼かった子どもたちが、「放射線教育」と「原発事故」を結びつけられない現象が起きています。福島市のある小学校のクラスで、放射線教育を受ける前の子どもを対象に行われたアンケートでは、「福島県(市)は、なぜ放射線が多くなったのでしょう」という問いに「わからない」という子どもが6割以上いたのです。これはいったいどういうことか、と思います。

写真6 「チャレンジ!原子力ワールド、中学生のためのエネルギー副読本」文部科学省・資源エネルギー庁/2010.2(一部加筆)

そもそも、放射線の健康影響のもっともひどいケースは、「死」です。原発事故前の国の教材などには「死亡」のことが書かれていたのです(写真6)。なぜ事故が起きたら、その表記をなくすのでしょうか。死亡する被曝レベルをきちんと書いて、高線量被曝が危険であることを提示し、子どもたちに教育していかなくてはならないはずです。なぜなら、

「なぜ原子炉に人は近づけないのか」

「なぜ何億円も税金をかけて原子炉の中で作業するためのロボットをつくっているのか」

ということの説明がつかないのです。福島は低線量だから高線量被曝については教える必要がないという人もいますが、「人間が近づけない、こういうメカニズムで、こう死ぬのだ」ということを知らないと、原子炉の状態も、廃炉作業のことも、根本を理解できなくなります。

 

・原発事故を「公害」と捉える。

加害と被害の問題構造を捉えて、伝えて行くためにも、原発事故を改めて「公害」として捉える必要性があるのではないかと考えています。公害教育をやってこられた方々の研究会に参加すると、その思いを強くします。原発事故に伴う放射性物質による汚染は、日本の第四次環境基本計画でも「これまで我が国が経験したことのない、最も深刻な環境問題」と明記されていた通り、明らかに「環境問題」ですが、加害者が明確であり、人間の健康にも悪影響が生じる可能性があるという点からは「公害問題」でもあります。原発事故による被曝を直接的な原因として亡くなった人はいないとされていることから、公害として明確に捉えたくない人もいるのかもしれませんが、原発事故は、加害-被害の構造を持つ「公害」なのです。

これまで日本の公害で指摘されていた、加害者による被害の矮小化、不適切な対応、地域社会の分断など、同様の問題が福島でも繰り返されています。また、日本では公害が「過去のもの」として扱われていく過程が見られましたが、原発事故にも共通するのではないかと思います。このように負の歴史が繰り返されるようであれば、被害者は浮かばれませんし、社会のためにもなりません。そうではなく、これまで起きた深刻な公害と真摯に向き合い、反省して、共通するような教訓を引き出し、学び、伝え、活かそうとする姿勢が求められていると思います。

ヨーロッパでは、欧州環境省が、これまで発生した様々な環境問題や公害問題から教訓を引き出し、予防的なアプローチに活かすため、「早期警告からの遅ればせの教訓(Late lessons from early warnings)」(https://www.eea.europa.eu/publications/late-lessons-2)という報告書を出しています。最初の報告書が2001年に出され、2番目の報告書が福島原発事故後の2013年に出されました。世界で起きた約20の環境問題・公害問題が取り上げられるとともに、そこから導かれる教訓をまとめています。日本で起きた環境問題・公害問題からも、水俣病と福島原発事故が挙げられています。

これらの事例からは、いかに早期警告が無視され、対応が遅れ、事業者や政府が被害の矮小化を画策し、「誤った否定」(問題の原因物質について、実際には影響があるのに「影響なし」と判定する)に陥って、結果として被害が拡大していったのかという事実と教訓がまとめられています。そして、リスク評価やリスコミについても、

「狭いリスク評価のアプローチは、今や、それらが言及し、認識し、コミュニケーションできない現実に追い越された」

「原子力エネルギーのリスクとベネフィットの見方が何であれ、破滅的事故の可能性は政策および規制の意思決定過程に組み込まれなければならない」

「リスク評価のアプローチが、リスクの狭い概念を使うよりもむしろ、無知や不確定性、偶発性など、回避不能な性質を伴う因果関係とシステムの複雑性の現実を、より包含する必要がある」

「何が既知または未知であるかについてや、不確実性について透明性を確保すること、そしてそれらを科学者、規制当局、政治家、一般の人々の間のコミュニケーションにおいて明示すること」

など、重要な指摘をいくつもしています。

日本政府からはなぜこのような真摯な反省に基づく資料が出てこないのでしょうか。ESDを国際的に提案した日本政府が、なぜ率先して批判的思考力を育めるような教材をつくらないのでしょうか。福島原発事故をはじめ多くの公害を引き起こしてきた日本政府には、「放射線のホント」のような資料ではなく、過去の教訓と真摯に向き合った資料や教材をつくる責任があるはずです。

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吉田 千亜

出版社勤務を経てフリーへ。東日本大震災後、放射能汚染と向き合う母親たちの取材を続け、原発事故と母親を取材した季刊誌『ママレボ』、埼玉県に避難している人たちへの情報誌『福玉便り』などの編集・執筆。日隅一雄情報流通促進基金賞を受賞。『母子避難』(岩波書店)ほか

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