【劇評】Theatre Company Shelf のポストドラマ演劇『アラビアの夜』

山下 純照

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〔記録映像:TANJC〕

2017年6月初めに東京都内の中層ホテルの8階にあるスペースで、このローラント・シンメルプフェニヒ作品の上演を見た。物語の問題場面が高層マンションの8階という設定である上に、話の引き金となるのが水まわりのトラブルだ。だから筆者が観劇当夜、実際に激しい豪雨に見舞われ、ずぶ濡れ状態で客席にたどり着いたとき、芝居の世界と現実が重なり合い、たちの悪い魔法にでもかけられた気分だった。というのも題名が示唆するように、中世ペルシャの有名なお伽噺が作品の下敷きになっているからだ。

高層マンションでは、水道管のトラブルなのか、9階以上に水が来なくなっている。そしてざわめく水音が壁の奥から聞こえてくる(なんとなくボートー・シュトラウスの『時間と部屋』を思わせる趣向)。管理人のローマイアー(沖渡崇史)は、点検のため訪れた8階32号室で、ちょうど帰宅したアラブ系の女性ファティマ(井上貴子)を助け、なかなか開かないドアをあけてやったところ、中から迎えに出たこの部屋の借り主、美しいフランツィスカ(川渕優子)を見てしまう。その後ローマイアーはビルの階段を下りながら水音のチェックをするが、やはり832室にもどって水道管を調べさせて欲しいと言うべきか迷う……。

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〔記録映像:TANJC〕

フランツィスカは、異世界の別の女から呪いをかけられて自己を忘却しているらしい。夜ごとに不思議なほど深い眠りに沈んでいく。その彼女に、何人かの男たちが魅入られてしまう。向いの建物からのぞき見した男カルパチ(森祐介)、ファティマの恋人で、毎晩バイクでやってくるカリル(横田雄平)、そして結局戻ってきて部屋に入るローマイアーである。彼らが呪いの標的となり、カルパチは小さなコニャック瓶に閉じ込められ、ローマイアーは妄想なのか、砂漠の世界に迷い込むはめになり、またカリルはファティマによってフランツィスカとの関係を誤解され刺し殺される。

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〔記録映像:TANJC〕

魔法の由来である異世界は、イスタンブール、バザール、シャイフ、砂漠といった言葉で示唆されるが、それがつまるところ何なのかは、謎にとどまる。ただ、ローマイアーだけが他の男たちとは異なる役割を与えられているのは明らかだ。砂漠に迷い込んだ彼の前に、顔に傷のある、前妻を思わせる女が出てくる。彼女に促されて見ると、砂漠の真ん中に噴水が吹き上げている。気がつくと現実に戻っており、マンションでは水流が直っている。異世界でのエピソードから察するに、すべての根源には恋の戦いに敗れ、自分の男に消されてしまったある女の恨みがあるようだが、ローマイアーの前妻との関係ははっきりしない。いずれにせよそれは時空を越えて、男たちに祟る。ローマイアーだけは妻の記憶を取り戻し、フランツィスカと新たな関係に入っていくのかもしれないし(それならハッピーエンドだが)、彼にもやはり破滅が待っているのかもしれない。

シンメルプフェニヒはいかにもロマネスクなこんな話を、ほとんど漫画チックで、いわば映画仕立ての芝居へと仕上げた。最後の場面ではコニャック瓶が、男を閉じ込めたままバルコニーから落下する。地面に激突するまでの各階の様子が、男の口からスローモーションで「実況中継」される。その中にはカリルが、ファティマに刺殺される瞬間、そのことが理解できず叫んでいる一コマも収められている。そしてコニャック瓶の男は自分について言う。「死んだ」。運命を脇から眺めるこの「語り」の方法は、観客の笑いを誘うだろう(実際誘っていた)。

一方、冒頭から全体を通じて採用されている、複数の場面―ある場所での行動や出来事をさしあたり場面と言おう―の同時進行という構成法が映画的だ。場面どうしは互いに干渉しないまま進行し、それらの間を絶えず切り替えながら話題は進む。つまり空間が絶えず切り替わる。多くの映画では、こうした並行モンタージュの各場面は少なくとも数分間は続くのではないか。多分、ほとんど一行半句の後には場面が切り替えるというスタイルを始めたのはジャン=リュック・ゴダールだろう。演劇では、マイケル・フレインの『コペンハーゲン』がこれに類似の手法だったが、ただそこでは複数の語り手の、複数の視点が交代するだけで、空間が絶えず切り替わるわけではなかった。よって『アラビアの夜』のほうがいっそう映画的な印象を与える。この作品はある意味、本物の映画でやってしまえば難解なものではなく、幻想的でシュールな要素はあっても抽象的にはならないだろう。その代わり、独特の面白さが失せてしまうのではないか。というのは、台本を見ると、別々の空間で発せられるセリフが隣り合って連なっており、その様子は、別の空間に属するはずの人物たちが、あたかも身体を寄せ合って発話している矛盾した光景を想像させるからだ。これは演劇でこそ実現できる。

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〔記録映像:TANJC〕

こうしたものが、従来の劇(ドラマ)とははっきり別物であることは明らかだろう。台本にセリフが並んでいても、ほとんどの部分それは対話でもなければ会話でもなく、多様な「語り」の連続になっている。つまりは「語り」の演劇だ(これについては刊行されている邦訳につけられた訳者大塚直氏の解説が詳しい)。ただ、この「語り」の演劇は、あくまでも劇(ドラマ)の概念をベースとしている。語り手がみな登場人物自身で、「語り」を通じてかれらの行動が描写されてもいるからである。その点で義太夫などの語りとはまったく違う。義太夫は劇中で行動しない。それに対して、『アラビアの夜』の登場人物たちは、劇中で行動しつつ、自分たち自身の「義太夫」となって、常時それについて「語り」続ける(常時というところがポイントである)。自らの行動について「語る」演劇。この形式を位置づけるには、劇(ドラマ)を含みつつ、それに対して距離をとるもの、という意味でのポストドラマ演劇がふさわしい(最近は日本の演劇でもこの方法を取り入れたものを時々見かける)。つまりシンメルプフェニヒの原作はポストドラマ演劇の台本として書かれている。では、上演はそれに対してどう立ち向かったのだろうか。

上演空間の問題がすべてと言ってよい。セリフによってそのつど意味される空間の切り替えをどうするか、という課題があるわけだ。これに対して、例えば空間を物理的に部分に分割し、照明でそれらの瞬時の切り替えをしてみせるといったやり方もある。しかしそれよりも、今回shelfが採用したように、すべての演者の身体を常時可視化して、「語り」それじたいの力で観客の想像力を喚起する、というやり方のほうが適切に思える。演者たちの身体が存在するところにそれぞれの空間が設定される。話の進行の中でそれらは隣接し、重なり合いもする。

床には大きな長方形の枠線が引かれ、観客席はそれを取り囲むように配置されている。長方形の内部も分割線が引かれて、物語に対応するいくつかの区画が示され、それぞれの場所を名指す英単語が白いチョークで書かれている。
物語の中では、人物たちの誰かが常に、階段を上昇、あるいは下降している。8階から地階へ、地階から8階へ。指揮者がタクトを振るように、階段(およびカリルだけが、しばらく閉じこめられるエレベーター)での昇降運動が物語のリズムを決定している。明らかに演出家にとっての難題だろう。shelfの演出家、矢野靖人は、これを水平な床面での周回運動で表現した。自室のソファーからほぼ動くことのないフランツィスカを例外として、登場人物はみな、あの長方形の枠線上で、階段を踏みしめるように歩く。フィジカルシアターの訓練で鍛えられたのだろう演者たちの歩行には、気迫がある。

筆者は、観劇しながら次第に解釈にふけっていった。階段の上下運動と言い、ローマイアーが半地下室まで下降したとき突然湧き起こる前妻の記憶といい、砂漠の噴水と言い、フロイトの『夢解釈』の読者としては、どうしても深層心理の象徴として読み取ってしまうのだ。すべては抑圧された衝動の現れなのではないか。フロイトによれば、夢の中での上昇・下降は性的な表徴なのである。

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〔記録映像:TANJC〕

shelfの上演には明示的にエロチックな表現は皆無である。冒頭で、ローマイアーが見初めるフランツィスカは「ほとんど裸」という設定なのだが、それさえ控えめだった。しかし演者たちの張りのある声がそれぞれの身体の周囲に空間を設定し、それらがせめぎ合う中で、次第に空間どうしの関係性そのものがエロス的に見えてきた。演出がそれを狙っていたかどうかは別として、空間の「接触」から生じるエロスが、原作の昇降運動のそれに取って代わっていたように思えた。

水平なのが普通の演技空間でこの作品をやれば、今回のShelfのようになるのが自然なのではないか。それは、今回の上演が原作から何らかの距離を取ろうとはしていないということでもあろう。その意味では、台本自体がポストドラマ演劇として書かれているとき、演出がさらに異化をほどこすことなく、原作自体に仕込まれている劇(ドラマ)と演劇の距離をうまく具体化すれば、ポストドラマ演劇の上演は成功する、という例を見たように思う。


●山下 純照(やました・よしてる)
1959年生まれ、神奈川県横須賀市出身、東京都世田谷区住まい。ドイツ演劇、演劇理論が専門。成城大学文芸学部教員。日本演劇学会・西洋比較演劇研究会会員。


shelf volume 24
「 Die arabische Nacht|アラビアの夜」
2017年6月2日(金)~5日(月)@The 8th Gallery(CLASKA, 学芸大学)

作 / ローラント・シンメルプフェニヒ(Roland Schimmelpfennig)
翻訳 / 大塚直
演出 / 矢野 靖人
stage performing rights: S. Fischer Verlag Frankfurt/Main

[キャスト]
川渕優子
森祐介
沖渡崇史
横田雄平
井上貴子

[スタッフ] 
照明デザイン協力 / 則武鶴代
衣装デザイン / 竹内陽子
宣伝美術 / オクマ タモツ
記録映像撮影・編集 / TANJC
写真撮影 / 原田真理
制作助手(インターン)/ 神川美優 
制作協力 / 庭山 由佳

主催・企画制作 / 一般社団法人shelf